秋山庄太郎略歴
秋山 庄太郎(あきやま しょうたろう)大正9年(1920年)6月8日 - 平成15年(2003年)1月16日
1920 | 大正9年 | 0歳 | 6月8日、東京・神田に生まれる | ||
---|---|---|---|---|---|
1933 | 昭和8年 | 13歳 | 東京府立第八中学校(現・都立小山台高校)入学。 小型カメラ「パーレット」を買ってもらい、写真を撮り始める。 |
||
1938 | 昭和13年 | 18歳 | 第一早稲田高等学院入学。写真部に入部。 | ||
1943 | 昭和18年 | 23歳 | 早稲田大学商学部卒業。作品集『翳』を自費出版。 陸軍に召集され、約2年間中国大陸を転戦。 |
||
1946 | 昭和21年 | 26歳 | 東京・銀座に写真館「秋山写真工房」を開設(翌年閉鎖) | ||
1947 | 昭和22年 | 27歳 | 近代映画社写真部に入社。女優・原節子を東京・狛江の自宅で撮影。 | ||
1949 | 昭和25年 | 30歳 | 日本写真家協会(JPS)創立会員となる。 | ||
1951 | 昭和26年 | 31歳 | 近代映画社を退社、フリーランスの写真家となる。 | ||
1953 | 昭和28年 | 33歳 |
|
||
1955 | 昭和30年 | 35歳 | 東京・麻布今井町にスタジオ開設。 | ||
1958 | 昭和33年 | 38歳 | 東京・麻布笄町にスタジオ移転。 日本広告写真家協会(APA)創立会員となる。 |
||
1959 | 昭和34年 | 39歳 | 『週刊文春』の表紙連載を開始。 | ||
1960 | 昭和35年 | 40歳 | パリへ四ヶ月間の外遊。抽象、花などを撮影ジャンルに加えるきっかけとなる。 | ||
1963 | 昭和38年 | 43歳 | 『週刊サンケイ』の表紙連載を開始。 | ||
1964 | 昭和39年 | 44歳 | 東京・西麻布にスタジオ移転。『週刊現代』の表紙連載を開始。 | ||
1965 | 昭和40年 | 45歳 | この頃からライフワークとなる「花」を本格的に撮り始める。 | ||
1966 | 昭和41年 | 46歳 |
|
||
1971 | 昭和45年 | 50歳 | 『週刊ポスト』の表紙連載を始める。 | ||
1971 | 昭和46年 | 51歳 | 日本広告写真家協会会長に就任。 東京・品川のホテルパシフィック東京に、ブライダルスタジオ「秋山写真工房」開業。 |
||
1972 | 昭和47年 | 52歳 | 『週刊小説』に「作家の風貌」連載開始。 | ||
1975 | 昭和49年 | 54歳 | 講談社出版文化賞受賞。 | ||
1975 | 昭和50年 | 55歳 | 『月刊美術』に「現代日本の作家たち」連載開始。 | ||
1976 | 昭和51年 | 56歳 | 山形県米沢市にアトリエ「山粧亭」を建設。 | ||
1979 | 昭和54年 | 59歳 | 日本広告写真家協会名誉会長に就任。 | ||
1980 | 昭和55年 | 60歳 | 写真愛好家団体「花の会」結成、会長となる。 日本写真芸術専門学校校長に就任。 |
||
1986 | 昭和61年 | 66歳 | 紫綬褒章受章。 | ||
1990 | 平成2年 | 70歳 | 日本写真家協会名誉会長となる。 | ||
1993 | 平成5年 | 73歳 | 勲四等旭日小綬章受章。 | ||
1994 | 平成6年 | 74歳 | 全日本写真連盟副会長に就任。 | ||
1997 | 平成9年 | 77歳 | 日本写真協会副会長に就任。 | ||
2003 | 平成15年 | 1月16日、東京・銀座の写真審査会場で倒れ、急逝。享年82。 |